地震と記憶と劣等感

(震災のことに少し触れます)

大きな地震があるたびに思い出す少し昔の話。
まだ建築合宿ってあるのかな。
遡って2011年、芸大生時代はプロダクトデザインを専攻していたけど近畿大学で行われていた「建築合宿」という存在を知って無理を言って建築学生に混じり参加させてもらいました。
近大に全国から集まった建築学生(専門学校も含む)1・2回生を5人1組?に班分けして、1週間寝泊まりしながら一つの課題に取り組む合宿。12班くらいあったかな。

当時は、建築家の石上純也さんから「イエ」というとてつもなく抽象的な課題を設けられ、各班ごとにディスカッションをし、さまざまなアプローチから答えを出していく。

ぼくのいた班は内部分裂するほどに意見が割れた。この出来事は鮮明に覚えている。

日曜夜に流れるアニメの家のような間取り・動線・関係性が良いんじゃないかと声を出す人がいてそのアイデアにみんながなんとなく賛同してそっちの方向に進もうとしていて、ぼくはそのアイデアが面白くなさすぎて釈然としなかったからずっと考えていた。

そして中間プレゼンの日、忘れもしない3月11日だった。中間プレゼン中に大きな揺れを感じた。ぼくたちのいた大きな製図室にはテレビが無くニュースが入らない。そんな中、近大の人が慌てて製図室に入ってきて「東北の方でとんでもない地震があった」と教えてくれた。東北から来ている学生もいたので血相を変えて身支度していたのもまだ記憶に新しい。

そして混乱が少し落ち着くとこの合宿自体を続行するかどうかの話があり、不安定な精神状態が続き離脱していく学生もいたが合宿自体はこのまま進める運びとなった。

この状況下の中、改めて「イエ」について考え直した。1週間ましてや数日で出来ることは限られているし、普通の一軒家を作ることはこれから先いくらでも出来る。今この状況だからこそ考える意義があることをしようと、ぼくは「人を感じる家」というコンセプトを出してみた。
感じるというのは聴覚や視覚を通して認知すること。
歩く音が鳴り響いたり、半透明のガラスにしたり、人の生活を感じることができるコンセプチュアルに振った家。
今思い返せば、例に挙げるのはとても烏滸がましいが、この翌年に発表された藤本壮介さんが設計したガラス張りの家「House NA」にとても似ていた。(コンセプトもクオリティも全て言わずもがな圧倒的に劣るが)
このアイデアに最初は反対していた班員も納得してくれて(もうひとりのとても優しくて強くて賢い京大生の女の子が賛同してくれてタッグを組み半ば強引に)最終プレゼンへと進んだ。

石上さんはこの震災で来ることが出来なくなり代わりに何名か臨時で建築家の方に来ていただいて批評してもらったが、ぼくたちの班はことごとく酷評されたのを憶えている。恐らく一番ダメ出しされた。
そしてその中でも一番酷評をしていただいた建築家の方に「このアイデアを考えた学生は後で来て」と呼び出されてこっ酷く叱られるかと思いきやその逆だった。「君は間違っていない、誰になんと言われたとしてもこのまま進んでみて」と言われたことは今でも心に残っている。

ぼくはこの合宿でデザインではなくコミュニケーションの大事さ・難しさ・楽しさを何より学んだ。今でも腹を割って話せる友達も出来た。この友達とは翌年、裏建築合宿と名付けて3回生3人でアンオフィシャルに参加していた。その当時は谷尻誠さんがキュレーターだったので隙を見計らい批評もいただけた。とても良い経験だった。
つい先日もその友達が独立して、何か一緒に仕事できたらいいねと話をしたばかりだ。

この傍若無人な性格が故にできた「建築」という最興の世界に足を突っ込んでみた経験は何事にも変え難い。この経験があるからこそ建築学生なら誰でも知ってるであろう建築関連のグラフィックのお仕事にも繋がっている。
いくつかある転換期の中でもかなり思い入れがある出来事。

そんなことを定期的に思い出してはあの当時感じた、同世代への圧倒的劣等感を糧に前に一歩ずつ口笛吹きながら進んでる。

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