引力

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近頃、引力の無いデザインが増えてきているような気がしている。否が応でも吸い寄せられる不思議で魅力のあるデザインが。

これは一昔前に比べて、身体性が宿っていないデザインが増えたからであろうか。かくいうぼくもMacが既に存在している現時代の生まれのクリエイターなので、自身のデザインに身体性があるのかと言われれば無い方になるだろう。昔のエディトリアル系のデザイナーは原稿を見て使用する用紙を触れば、およそのページ数が感覚で割り出せたという。恐ろしい職人技である。

モノや人には引力がある。お互いに引きつけ合う相対的な引力。惹きつけ合う、と言い変えたほうが正しいかもしれない。出逢うべくして出逢う、そんな感覚である。

クリエイターであれば、
「もっと大きな仕事がしたい」と思ったことはないだろうか。ここでいう大きな仕事とは、何も金銭的なモノではなく、世の中へ訴求する力の大きな仕事。
何故、そのような案件が自分には来ないのか。それは置かれている状況や環境のせいでは無い。自身の引力が弱い。ただそれだけのこと。

人が持つ引力は、
技術、知識、アイデア、言動、行動、そして人柄。これらが掛け合わさって引力になる、と解釈する。
引力とは何も引っ張られるだけではなく、こちら側からも引っ張る力が必要だ。互いに引きつけ合い惹かれ合う。そんなものである。

デザインが持つ引力は、需要と供給のバランスにより大きく変わる。この「変わる」というところが面白くて難しいところだ。
対峙する方にとって、必要としていない情報を提供するのはハラスメントに近しい。
どんなにビビッドなカラーリングの目立つポスターであっても、ときにそれは都会の喧騒に紛れ、あたかも元々の壁の装飾であったかのようにカモフラージュしてしまう。
デザイナーが「タイトルは横幅いっぱいに。会期は漢字はそのままで数字だけを大きくして目を引こう」と心血を注いで作ったものも関係なく溶けていく。

この点を踏まえると、ことデザインにおいて、自分が欲しいと思うものは何も、片想いな恋では無いのではないだろうか。欲しいと思った瞬間にもの凄くアピールをしてくる様は、両想いだったのではないか、と勘違いしてしまうほどに。

必要、とは必ず要ると書く。では当然のようにデザインもそれを示すものでなくてはならない。欲しい情報がきちんとした動線計画のもと、的確に、正確に伝わる。たったこのことさえも出来ていないものは一体。

ロゴタイプやタイトルを自作する前にも一度問うてみて欲しいことがある。その文字に企画の意図を代弁する「声」がきちんと宿っているか。

デザインに愛があれば、きちんと届く。

ただし、メンヘラにはならぬよう。

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